2019年3月5日、まもなく東日本大震災から8年となりますね。
人気のテレビ番組ザ鉄腕ダッシュから生まれた村で、現在は、福島原発の帰還苦難区域にあるDASH村。
2019年現在はどのような状況にあるのでしょうか。
今回はDASH村の現在2019年の今についてお届けしたいと思います。
DASH村 現在2019の今を調査!
日刊スポーツの取材でダッシュ村の提供者である三瓶夫妻を訪ねたニュースがありました。
詳細は以下になります。
福島市で避難生活を送る三瓶さん夫妻は2カ月に1度、浪江町津島の国道114号沿いにある自宅と、そこから2キロほど離れたDASH村を見回りに行く。114号は17年9月、通行規制が解除された。「除染してないし、線量も高いからなかなか行けないんですよ。夏は防護服着ると、暑くていられないから、春や秋の涼しいときに半日ぐらい」と孝子さん。
朽ちたため2年前に作り直したDASH村の扉を開け、村を見て回り、道路脇の草を刈る。役場も水車小屋もヤギ小屋もそのままだが、「イノシシに入られて中はガチャガチャ。ベニヤ板張って、入られないようにしているんだけれども」(宝次さん)。田んぼにはヤナギが生え、切ることもできないうちに「ヤナギの森になった」(孝子さん)という。
8年前までここは「山あり沢あり田んぼあり畑あり。フキノトウでもワラビでもマツタケでもシメジでも何でも採れて、自給自足できるぐらい豊富な恵みがある場所だった」(宝次さん)。しかし、村の南東約30キロにある福島第1原発の事故で津島の450戸、1459人の住民は四散した。
津島は戦後間もなく、食糧増産と引き揚げ者対策で、福島一の規模で国有林入植が行われた。血の汗を流すように開拓した土地が300町歩(300ヘクタール)ある。DASH村も宝次さんの親戚が入植し、開拓した土地だ。
宝次さんは「開拓団に入って満州に渡って、終戦後、ソ連の捕虜になったり、命からがら逃げてきて津島の開拓に入った人がいるんです。それが今度は原発で追われて。国の政策の失敗を2度体験させられる目に遭っているんです」と話す。
17年12月、津島支所を中心とした国道沿いの約4キロ、137ヘクタールが特定復興再生拠点に指定された。23年3月の避難指示解除を目指し、除染とインフラ整備が進められている。しかし、DASH村など国道から離れた地域は外れた。宝次さんは「一部に復興拠点ができても津島全体を再生するのは不可能。範囲を拡大して10年以内に津島全体の除染を終えるようにしないと、地域が消滅してしまう」と訴え、町に要望書を出した。
引用元:Yahoo!ニュース
DASH村 今後どうなる?ネットの声も!
DASH村は今後どうなるのでしょうか。
ネットの声も集めてみました。
最近、鉄腕!DASHでも、ここを訪れなくなってしまったね。
せめて毎年3月頃には、ここを訪れて、特集を組んでほしい。原発事故啓蒙の為にも(内容は原発推進・反原発に偏らず中立で)ありのままの姿を 継続して伝えて欲しい。
人はどの様に自然を切り開いていったのか?
人の手が入らなくなると、どの様に自然に回帰していくのか?
放射線汚染の恐ろしさ。演出はいらない。
現状・現実を伝え、考えるのもメディアの役割だと思う。番組で取り上げてほしい。
DASH村。
最初から見ているが、最初は場所は不明で本当に荒れ地でTOKIOも何をして良いかわからない状態。
そんな中、昭雄さんをはじめ浪江町の皆様の協力があって、場所もバレず色々やって来た。震災の時もロケ中。
あの動画は忘れられない。孝子さんご夫妻が春と秋に行かれていると知って驚いた。
復活は難しいのはわかる。
けど現在のありのままのDASH村の状態。人間の手が入らなくなるとどうなるかと言う意味で年に1回は放送して欲しい。原発被害地と言う意味合いでなくても良いから。
一時的帰還が許されたときに、DASH村を訪れたのが山口元メンバー。あの映像、もう使えないんだろうな。
あまりにも、マスコミの報道が少な過ぎる。
無かった事にしたい方々がいるのでしょう…
政府や東電は怒りくるかもしれないが、こう言う現実こそしっかりと報じて欲しいですね。アンダーコントロールって言うなら自分で言って見てくればいいよ。安全安心除染完了って言うなら東電の本社を移転すればいいよ。
DASH村への思いは 見ていた人にはまだまだある。村の人達がどうしてるのか心配。
TOKIOがあんな形でなかなか動けなくていると思うけれど DASH村に関しては 全く気にせずに動いてほしい。村の実情を伝えられる唯一の人達だと思う。3月になると、震災関連の記事が増えてくる。
村の継続は難しいかもしれないが、あの村が今こうなっている等を番組内で伝えて欲しいと思う。過ぎた事にしてはいけない。
絶対忘れてはいけないけど、雲上人や東電は無かった事にしたいんだろうな。津波で破壊された街並みを、月日が経つにつれどこか他人事、遠くの国の出来事のように忘れていた自分がいました。
DASH村 現在2019の今を調査!今後どうなる?ネットの声も!
ダッシュ村は2000年6月にスタートしました。
日本テレビ系のザ!鉄腕!DASH!の1部のコーナーとして始まりました。
場所を提供してくれたのは故三瓶明雄さん、それから東日本大震災があり原発事故が起きました。
そして、19年ほどの時間が経ちました。
宝次さんは、原発事故からの8年目の思いを語ってくれています。
DASH村が誕生した2000年。中山間地整備事業で村の近くを流れる川沿いに200本の桜が植えられた。立派な桜並木になったが、皆で花見をすることもできない。
「みんな分散して生活圏がほぼ破壊されました。東京の人たちの感覚と被災地の人の思いは時間が経てば経つほど、かけ離れていきます。忘れられてしまうんだろうなぁ」
今回はDASH村の現在2019についてお届けしました。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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